安西英雄の備忘録

人生をよりよくするために何が出来るか考え実行中。

話せないのが苦痛だった頃

私は今でこそ会話が面倒と思うようになり、

買い物以外で誰とも話さないのが

心地よく感じるようになりましたが、

話せないこと・話す人がいないことが

苦痛に感じた時期もありました。

それは学校を卒業して就職した頃のことです。

 

学生時代の私には少ないながらも友人がいました。

休み時間ごとに友人達と集まって

適当にしゃべってまた授業を受ける。

それを繰り返すと放課後になるといった感じです。

当時はそれが普通で、口数は少なくても

全く話さないということは考えられなかった。

 

ところが就職したての頃、

話す人がいないという事態が発生した。

もちろん仕事について話すことは普通にあったし、

何かしら話題を振られることもあった。

問題はその話題が全く合わなかったことと

対等に話せる人がいないことで、

少し話しては会話が途切れるのがパターンだった。

 

これは当時の私にとってなかなか衝撃的なことで、

就職して少したった頃、当時の友人と話した際

「話し相手がいない」「みんなと週1くらいで飲み会したい」

などと愚痴をこぼしたくらいだった。

そのくらい話せないことが苦痛だった。

 

ではそれが「話さないのがラク」と

思うようになったのはいつかというと、

あまり覚えていない。

なにせ気がついたらそうなったのだから

ハッキリと「この頃」ということは出来ない。

 

ただ社会人を経験する中で

「どうでもいい会話をするのが面倒になってきた」

というのは覚えていて、

それが段々会話事態が面倒になってきて、

最終的に話すこと事態が面倒になってきたのだと思う。

 

今ではそのことを自覚したので凄くラクになった。

話すのが普通で話さないのは変と言われても

私にとっては違うわけで、別に話さなくても

暮らしていく上で問題はほとんどない。

それが分かったから話さないことも話せないことも

どうでもよくなったのだと思う。

こういったことを振り返れるようになると、

私も年を取ったと思わずにいられない。