安西英雄の備忘録

人生をよりよくするために何が出来るか考え実行中。

ぼっちの先駆者

私は基本的に一人で過ごします。

小学校の頃はよく友達と遊んでいたけど、

学年が上がるにつれ学校以外で会うことはなくなった。

社会人になってからはほとんど合わなくなって

一人で過ごすのが基本になった。

それを変な事と思わなかったのは

身近に「ぼっちの先駆者」がいたから。

それは誰かというと、父親のことです。

 

父が休日に家族以外の人といる事はほとんどなかった。

あっても近所に住む親戚やムラの飲み会くらい。

あとは裏庭の畑いじりをしてたり

釣りにいったりパチンコに行ったり。

どれも一人で出来ることばかりしていた。

そんな父を見て育ったから一人でいることが

変なこととは思わなかった。

 

母親はそうではなかった。

母の友人が家を訪ねることはあったし、

友人と出かけることもよくあった。

そっちの方が大多数とは気づかなかったが、

とにかく実家には一人で過ごす親と

誰かと過ごす親がいた。

 

それで私が一人で過ごすのを選んだ理由は何か?

単純にそっちの方がラクだからだと思う。

もちろん一緒にいて楽しい人はいる。

でもその人たちと毎日・毎週・毎月

会うのはどうかというと、それはキツイ。

 

以前そんな感じになったことがあったけど、

週末になると「連絡が来るかも」と思い

心が休まらなかった。

結局自然と会わなくなって心がラクになった。

 

ところで私は父親とはほとんど話さない。

話すことが無いから話しかけないし、

父親から話しかけられることもなかった

(小学校時代はあったが)。

社会人になってからは(1日でも1週間でもなく)年間で

1分も話さなくなったし、それも家に電話して

たまたま父が出た時だけだった。

つまり父親とコミュニケーションを

取ることはほとんどなかった。

 

それでも私は父のように一人で過ごす事を選んだ。

今まで意識したことはなかったけど、

どこかで「一人で生きている人もいるから大丈夫」

と影響を受けていたんだと思う。

そう考えると私にとって父親の存在は

確かな意味があったのだろう。

 

ちなみに「家族で住んでいて一人はないだろう」

と思う方もいるかもしれない。

父は確かに家族で住んでいたが、

あれは一人だった。

この感覚は一緒にいたから分かるもので、

上手く言葉に出来ないが確かに父は孤独だった。

それが悪いこととは思わないし、

こちらから何かをしたいとも思わなかった。

単に父がそれを選んだ結果だと思う。

それで良いと思ったし、

だから私の今の状況も

自分が納得しているならそれで良いと思っている。

結局人生人それぞれなのだ。