自分にとって自由とは何かをよく考える。
現在の結論としては以下の一文にまとめられる。
「やりたい事をやれてやりたくない事をやらなくていい状態」
ではそのために必要なモノは何か?
私は「ある程度のお金」と「何者にも囚われない発想」
があれば自由になれると考えている。
ある程度のお金
実は最初「自由に使える時間」と書こうと思ったけど
それを得るためにはある程度のお金が
必要だと気づいてこっちにした。
どういうことかというと、
例えば残りの人生を生きるのに必要なお金が貯まったら、
その時間をお金で買ったともいえる。
生きていくうえでお金は絶対に必要だから
自由を得たければお金が必要となる。
ただしその額は人それぞれで、
10億円あっても足りない人もいれば
2,3000万円で十分という人もいるだろう。
それぞれが自分にあった「ある程度のお金」を持てれば
自由へ近づいたといえるだろう。
何者にも囚われない発想
難しいのはコッチだと思う。
いくらお金があっても凝り固まった発想では自由とはいえない。
何かをやろうと思ったとき
「○○だから無理」
なんて言ってるようでは自由とはいえない。
ではこの凝り固まった発想の原因は何かというと、
常識だったり世間体だったりそれまでの経験だったりする。
特に厄介なのが経験で、過去に失敗した事を
もう一度やろうと思ってもなかなか一歩が踏み出せないのは
過去に失敗した経験に囚われているからだ。
実際には過去と比べも知識やお金や人脈など
過去にはなかった出来る理由があるハズなのに
それでも二の足を踏んでしまう。
経験というのは実に厄介なものだ。
だから何者にも囚われない発想というのは貴重で、
これがあると物凄く自由に近づく。
自分は何でも出来るとしたら
何がしたいか考えてみるといい。
常識も世間体も経験も関係ない。
全てを取っ払ってゼロから考えてみる。
そのときの発想は凄く自由なハズだ。
というわけで私が考える
自由のために必要なモノを書いてきた。
ある程度のお金と何者にも囚われない発想が
必要と書いたが、では自分はどうなのか?
お金に関しては先が見えている。
40歳くらいには十分な額が貯まるだろう
という計画を立てている。
問題は発想のほうで、いまだに何かに
囚われていると感じることが多い。
ここが当面の課題といえる。
自分でも書いたように
何でも出来るとしたら何をするか考える。
まずはここから始めるとするか。