安西英雄の備忘録

人生をよりよくするために何が出来るか考え実行中。

人生で一番苦しかった時期

自分の人生の中で一番苦しかった時期はいつか?

こう聞かれたら私は2013年4月~14年1月の初めまでと答える。

この時期は最初に転職して介護という新しい仕事を

始めた時期だったが、とにかく毎日が苦しかった。

 

私が仕事を覚えるのが遅かったのもあるが、

職場の人たちとの相性が悪く上手くいかないことだらけだった。

加えて出勤時間よりかなり早く出社していたし、

違法残業も日常的にあったのもキツかった。

その代わりに貰える給料も人生の中で一番少ないモノで、

心身ともにやられる毎日だったと思う。

 

その影響は休日にも出てきた。

本来やりたいことをやる楽しいはずの休日は

疲れを取るためだけのものになり、

この時期の私の中心は完全に仕事になっていて、

自分の人生ではなく他人の為の人生を生きているようだった。

 

この「自分の人生ではなく他人の為の人生を生きている」を

一番実感したのが観に行きたかった

プロレスの興行を観に行けなかったときだった。

当時旗揚げしたばかりのレッスルワンという団体が

地元酒田に来ると分かり、私は最初行こうと思った。

だがすぐにこう思い直した。

 

「それに行ったら仕事に影響が出るのでは?」

 

プロレス観戦はそこそこ体力のいるものだが、

その結果仕事に影響がないか心配したのだ。

完全に社畜の発想である。

結局私は行くことを諦め、

当日は仕事で遅番だったと記憶している。

 

それまでずっと辞めたかった職場だったけど、

この「やりたいことより仕事を優先した」

という事件の後により辞めたくなったように思う。

「俺は何をやっているんだろう?」

と思うことが増えたからだ。

 

結局この職場はほぼクビ同然の扱いとなり、

14年3月末以降契約を更新しないと言われた。

しかしこの宣告を受けた後の私はもうやってられなくなり、

その時点で決まっていたシフトが終わる

14年1月初めをもって辞めることを伝え了承された。

 

こうやって私の人生で一番苦しかった時期は終わった。

その後は別の施設に就職して、

そこそこ仕事をやることが出来て、

この経験から介護の仕事を続ける決断が出来た。

これが後に首都圏へ引っ越し働く日数を

減らしていくことに繋がるのだが、

それでもあの時期苦しかったことをなかったことには出来ない。

今から考えればもっと早く辞めるべきだったし、

身体や心を壊していたらと考えるとゾッとする。

もうすぐ労働を再開する予定だが、

もうあんな思いはしないよう気を付けたいものだ。