安西英雄の備忘録

人生をよりよくするために何が出来るか考え実行中。

友人の死に驚かなくなった

学生時代の友人たちとプチ同窓会みたいなものをしたときの話です。

集まるはずだったメンバーの一人が来なかったため

幹事にどうしたのか尋ねると「あいつ死んだよ」と一言。

周りの皆はギョッとしてたけど、単に風邪で寝込んでいたのを

大げさに言っただけで、その場はみんな笑って流していた。

タチの悪い冗談だったけど、私にとって問題だったのはそこではなく、

友人が死んだことをすぐに受け入れてしまったことだった。

死に慣れすぎた?

以前こんな記事を書いたことがあります。

人はいつか、必ず死ぬ。 - 30代でのセミリタイアを目指すブログ

私は介護施設で働いているため、他の人より「人が死ぬ事」に慣れています。

でもそれは(介助者と利用者の関係とはいえ)縁の薄い人の話で、

自分と縁の強い人ならもっとりがった感情を持つと思っていました。

 

上の記事でも書いたとおり人の死に触れてきて、

人は必ず死ぬということをリアルに実感するようになりました。

そのおかげで人生を全うしようと思えるようになったけど、

自分にとって大切な人が死んだら(少なくとも多少は)取り乱すと考えていました。

でも友人が死んだという、他の皆は一瞬でも信じたであろう時でも

私はあっさりとその事実(と思ったこと)を受け入れてしまいました。

どうやら私は想像以上に「人が死ぬこと」を受け入れているようです。

覚悟ができた

ではコレが悪いことかというと、決してそうだとは思わない。

人はいつか死ぬし、それがいつ訪れるかは分からない。

だれでも大切な人が死ぬ覚悟はいつか必要になることで、

例えば100歳を超える祖父がいる人は、

祖父がいつ死んでもおかしくないと覚悟できているでしょう。

いつかは覚悟することです。

私はそのタイミングが他の人より少し早かっただけ。

たぶん両親が死んでも取り乱さないんだと思う。